育休から1週間

育休を取ってから約1週間が過ぎました。

不慣れなことが多くバタバタした毎日をおくっています。
現在の自分の役割をメモとしてnoteに書きたいと思います。
23:00 就寝
3:00 授乳のサポート
6:00 授乳のサポート
7:00 この時間になると娘が起きてくるのでリビングで過ごす。その間妻には寝てもらう。
8:00 抱っこしてると眠くなってくるので寝かしつけ、自分の朝ごはん
11:00 妻が起きてくる頃なので洗い物や色々終わらせる。
12:00~16:00
17:00 夕食準備
18:30 夕食終了
19:00 お風呂
20:00 洗い物、シンク、五徳の掃除
21:00 洗い物終了
22:00 自由時間
23:00就寝

以上が1日のながれとなっていました。
まだまだ不慣れなことが多く、言われたことを忘れていたりするので、気を引き締めて謙虚に過ごしていきます!

育休を申請した時のこと

 夫のみなさんは育休は取りましたか?また、結婚がまだのひとや、結婚はしてるけど育休を迷っている方は将来育休はとりますか?
 私の場合、直属の上司⑴に妻が妊娠したことを告げたのは妊娠が発覚してからすぐのことでした。
 その後しばらくしてから出産予定と2ヶ月の育休を取りたいことを相談しています。



しかし、妻と話し合い、給料面で心配になることから出産後1ヶ月は里帰りし、その後1ヶ月育休を取って自宅で子育てすることを相談し、了解を得ました。

つい先日、もう少し偉い上司⑵から経緯が聞きたいとのことで育休のことについて話すと、帰ってきたのは意外な答えでした。
「育休は出産直後の1ヶ月じゃないと子育てって意味では意味無いんじゃないか?」
私が育休を取る理由は妻のサポートと育児のためでした。

産鎒期をどうしてものりこえたかったからです。

産褥期とはどのようなものなのでしょうか。

産褥期には体に以下のような諸症状が現れる。これらが生活に影響を与えるほど悪化し、または異常に進行して「病気」とされた場合を産褥病という。主には以下のものがあるが、発症の程度や期間にも個体差があり、無発症の場合もある。

手足のむくみ – 分娩直後。妊娠中は体内の血液量が通常の1.5倍ほどに増えているが、これが出産により一気に失われたために起きる体の一時的な反射反応。また授乳が始まっても水分バランスがくずれて発症することがある。
乳汁の分泌開始 – 分娩からおよそ3日後から
産褥熱 – 分娩後の10日以内の2日以上にわたる38度以上の高熱が続く発熱症状。感染症の一種。
後陣痛
産褥性心筋症 – 分娩後2〜20週の間にみられる鬱血性心筋症。原因は不明とされる。
子宮口や腟腔の復古 – およそ4週間ほどかかるが、分娩のため妊娠前の状態には完全には戻らない[2]。
悪露の排出 – およそ4週間ほどかかる。下り物とは異なる。大きな傷が体内にあり出血や感染の危険がある時期である。
子宮の急激な縮小(子宮復古) – およそ6週間ほどかかる。
体重の減少
その他の身体の全般にわたる大きな変化

(ウィキペディアより一部抜粋)

そこで妻と改めて話し合い、産褥期を乗り越えるためにも育休を取りたいと上司⑴に伝えます。
ここでの反省点はもっと早く上司⑴に育休を取る意味を話しておけばよかったことです。
その後は社長に改めて育休を取りたいことを報告することができました。

手続き用紙も提出し、現場の同僚にも昨日報告することができました。

まとめ

①自分が育休を取る意味をしっかり理解すること
②妻と育休取得までの流れ話し合うこと
③上司と育休までの流れを話し合うこと
④上司に育休のスケジュールをある程度話すこ と
⑤同僚にはコミュケーションの中で妻の様子を伝えると理解を得られやすい

この5点は、早めに相談するべきことでもあります。

妻が4月22日の午前2時から、やや不規則だが今までよりも強い陣痛に襲われた。午前5時に病院に電話し、8時30分に通院することに。

この2時から8時30分までの間は本当にあっという間に過ぎ去っていった。10分おきに来る陣痛。そのたびに手を握り、背中をさする。お互い陣痛がないときに半分寝て、陣痛が来たら起きる状態。

妊娠と出産は神秘的で過酷だと強く実感しました。

陣痛前にやってよかったこと、やっておくべきだったことをまとめたいと思います。

やってよかったこと

・早めに上司に相談する。

・自ら育休の知識を付けていく

・妻から家事を完璧にこなせるように教えてもらう。

・周囲へ妊娠の状況を話し、伝えていく。

・担当の引き継ぎの他にも、一週間スパンで仕事の引き継ぎを行っていく

やった方がよかったこと

・育休の意味やイメージを上司と共有すること。

・出産予定日当日まで生まれなかった場合、入院日と予定日の2日間で休めるのか早めに相談すること。

・妊娠中の妻の状態や子供のことを周囲の人間に話すこと。

また、上司⑵との調整してくれた直属の上司⑴には理解をしてくれたこと、本当に感謝しています。
自分と話し合う時間を作り、何度も上司⑵と調整してくれました。本当にありがとうございます。

ご購読ありがとうございました。

不登校という生き方

私は小学1年生から小学5年生、中学の3年間を不登校という生き方を選択した。いや、選択せざるを得なかった。きっかけは覚えていないが6月くらいから行かなくなった気がする。それくらい強烈な記憶で20年経ったいまも覚えています。

そんな元不登校な僕がなんやかんやあり(このなんやかんやも記事にする予定です。)社会人になりました。そして生きている上で大切にしていたことが3つあります。

①人との縁を大切にする。

人生な中で転機が何度も訪れてそのたびにいい人に巡り合ってきました。

そういう人たちに巡り会うためにも人に優しく、率先してなんでもやってきました。

不登校時代の先生は全員覚えていて、今でもお礼を言いたいくらいです。

それでも人生は運だったり、ツキがあると思います。

自分の子供が同じ境遇になった時にいい人にめぐり会えるかはわからないのでできれば学校に行って、色んな選択肢を増やして欲しいです。

②人をリスペクトする。

世の中色んな人間がいて、怒りっぽいひともいれば優しいひともいます。 

自分と他人は違うことを認めて、自分は自分で他人は他人と思うと大体のことは許せます。

当たり前ですが自分がされて嫌なこと、言われたら嫌なことは絶対にいいません。

学校に行く人もいれば行かない、行けない人も山ほどいるでしょう。

少数なだけで普通や当たり前なことなんてないことを思っているけど難しいんですよね…

③謙虚に生きる

とにかく、褒められても調子に乗らないことです。はじめてのアルバイトでは半年経っても仕事を覚えられずに、逃げるように辞めました。

そのこともあり、いま仕事している上で調子に乗りそうになると、その当時のことを思い出すようにしています。

生きている上でこの3つを胸に生きてきました。失敗や遠回りばかりの人生ですがなんやかんや生きてます。

父親になるということ

今年の四月に父親になりました。母子ともに健康で嬉しい限りです。

さて、みなさんの父親はどういう父親でしたか? 僕の父親は目が悪く、キャッチボールとか細かいことが苦手な人でした。その当時は父親はそういうものだと思っていましたが、ある時友達が父親とキャッチボールしたり、別の友達の父親はゲーム好きな人で家にゲームがたっぷりあって自分の父親とは違いました。

もちろん視力の関係なく色々な父親がいますが、当時は目が悪いからそうなのかなと子供ながらに思ってしまいました。今更ながら父親はどういう気持ちを抱えていたのでしょうか。優しい父でしたが本人の気持ちを考えると酷い言葉を言ってなかったか心配になります。

さて、自分が父親になるということは両親がおばあちゃん、おじいちゃんになるということです。

この祖父母との距離って難しいですよね。基本的には義母に頼ることが円満の秘訣かなと個人的に思っています。

私が小さい頃も距離の問題もありますが母の実家によく遊びに行っていました。

やはり嫁の体調や居心地を考えると嫁実家に頼ることがいいかなと感じます。自分の場合、出産後、里帰りしてもらい産褥期の1ヶ月を過ごしていました。

義母も義父もいい人だったので居心地はよかったです。この時に心がけていたことがあります。

準備や片付けを積極的に

当たり前のことですよね。仕事が終わり、そのまま嫁実家に通っていました。その後は夜ご飯をご馳走してもらっていたので、食器の片付けやテーブルを拭くなど当たり前のことをやっていました。

②家のルールを守る

もちろん、これも当たり前のことです。なにをどうするのか分からないことはとにかく聞きました。嫁にも聞いてわからないことは教えてもらう姿勢でした。それでも失敗は多く、謝罪して事なきを得たこともあります。(実は事なきを得てなかったこともあるかもしれません…)

今更ながらブログに書くこともなかったような内容でした…笑

でも人の家って分からないですよね。自分が普通だと思っていたら実は普通じゃなかったことがたくさんあります。というか嫁と会ってからそれがかなりありました。だから普通のこと書いて、これが普通だよなって共通認識持つのも大事ですよね。

こんな普通の記事が少しでも普通だよなって思ってもらえれば普通に嬉しいです。呼んでいただきありがとうございました。

オタクの育休1日目

初めまして、新米パパのオタクです。20代後半に片足を突っ込む男です。小学生は6年生しか登校せず、中学は二日くらいで行かなくなった元不登校でした。その時の話もいずれ書いていきたいとおもっています。

オタクはこのブログで使用する名前でもあり、自分の性格でもあります。ただ、子供が妊娠、出産を通してオタクの趣味が無くなっていき、じゃあ自分にとってオタクとはなんなのか考える毎日です。前書きが長くなりましたので本題に移ります。

私は6月から育休を取っています。育休を取った時のことや、取る直前の事も今後書いて行けたらと思います。

さて昨日育休初日が終了しました。

お昼からスタジオでお宮参り撮ってきました。
とにかくどの服着ても可愛いと思えたので無事に親バカ入門です。
撮影中は眠いのかギャン泣き。これ待ってる人がいなかったからよかったけど、何組も待ってたらスタッフの人は大変だろうなぁ…
着物とか着た時に手が上に上がっていくのはどの赤ちゃんも同じなんでしょうか?

写真撮って帰ってきたら夕方でご飯食べたらあっという間にお風呂の時間。

撮影の時から眠いのかずっと泣いて
帰ってきたらひたすら爆睡。

仕事してるよりも一日があっという間
嫁、娘よ明日も頑張っていきましょう

コース : 読み方を子どもに教える

教師トレーニングカリキュラムを開発したことにより、教師と教育関係者向けに読み方を教える新しい手法に関するトレーニングセッションを開催できるようになりました。 このトレーニングにより、教師がより効果的に教室での指導を行えるようになると考えています。

スクールバスの取り組み

前四半期はローカルグループと協力して、バスネットワークの改善に重点的に取り組みました。 農村部に住む子どもには通学手段を提供することが重要だと考えています。 寄付をいただいたおかげで、世界中で子どもたちの通学に使う50台のバスと200台の車に資金を拠出できました。

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